入り口観光地(小説)村メモ|目安箱|


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改札を抜けて、駅構内の階段を下りきると、すぐに並木道がわたしたちを出迎えた。

 

惜しいかな、桜は散りかかっていて、若い緑葉がつややかに顔を出し始めている。

 

遅咲きとはいえ、4月下旬ともなるとさすがに見ごろは過ぎていたらしい。

 

 

 

「けっこう、散ってるね」

散った花びらの絨毯を踏みしめながら、境内へと通じる、階段まで伸びる並木道を、奥に進む。

 

枝理ちゃんはなにも言わず、たゆんだ足取りで先を歩む。

 

 

散ってるね、などと言ったのは失敗だったかもしれない。

見たいといったのはわたしなのに、文句を言っているように聞こえただろう。

 

ぼう、とあたたかな日差しの下で、制服の肩口に熱がこもってくる。

来月になればやっと衣替えだ。

 

桜がキレイといったって、地に落ちた花びらたちは最初こそ、柔らかい絨毯のようだけれど、

その後は踏みならされて土まみれになる。

 

 

それをキレイと言ってめでる人はいない。

桜は人が触れるとキレイでいられないのかもしれない。

 

 

「ソメイヨシノ」

 

不意に枝理ちゃんが立ち止まって、一本の桜の木を見上げた。

 

「ソメイヨシノは、どうして咲いたんだろう」

 

 

答えてほしいとは思っていない、自分のなかに何か一物ある言い方だった。

 

 

「どういう……」

意味なの、と言いかけたが、枝理ちゃんが振り向いたので口をつぐんだ。

 

 

「この品種ってさ、自然に殖()えられないんだよねー。人工で接木とかしてやらないと」

「……クローンみたいだね」

 

 

枝理ちゃんが何を言いたいのかわからない私は、適当に意見を挟むしかない。

 

 

「うん。クローンって、長生きできないらしいよ。人工的につくられた短い命なんて、最初から咲かせなければ、ここまで殖えなかっただろうにって、思って」

 

「殖えちゃだめなの?」

「殖えない方が、短い命をたくさん作らなくていいじゃん? キレイに咲いたばっかりに、さ」

 

その発想はなかった。

 

でも確かに、人間の「キレイだなー」と思うツボに、ぴったり当てはまるようにわざわざ咲かなければ、

こうして殊更に人の目につくように植えられたりはしなかっただろう。

 

ひっそりと生き、たまたま通りかかった人と親密な友となり、静かにめでられ、たとえ自然な繁殖ができず死に行く末だとしても、真の友の、心にこそ深く根が張れていれば、それでよかったのかもしれない。そういう生を歩めたかもしれない。

 

 

「桜の下には死者の魂が宿る、て言い伝えがあるけど」

枝理ちゃんが続けた。

 

「こんなに歴史が浅かったら、何も宿れないじゃんか」

 

 

 

宿ってほしい魂でもあるのだろうか。

 

 

桜の木の根元に咲くたんぽぽに、2匹の蝶が舞い遊んでいるのを見て、

そういえば蝶は「死」や「魂」の象徴だったな、というのを思い出した。

 

なんだっけ、橋渡しのような役目をするとか、しないとか。

 

 

「本当は、引っ越したくなかったんだよねーあたし」

 

まるでヒントを出すみたいに、ばらばらと話を散らす枝理ちゃんは、わたしに解いてほしいなぞなぞでも出しているのだろうか。それとも、わたしは解く必要なんてないのだろうか。

 

 

全然わからないけど、ただ少しわかるのは、今の会話はぎこちなくないということくらいか。

 

 

「でも高校からなら、きりはいいよね」

「きりがよくても、あたしはイヤだったよ。お母さんはこっち出身かもしんないけど、

あたしはあっちで生まれて、あっちで友達つくって、楽しくやってたんだから」

 

 

知らない土地に行くということが、どんな感覚なのか、それ自体は想像に難くない。

 

でもわたしは、枝理ちゃんの「これまで」を知らない。「今の枝理ちゃん」の構成成分を、知らないから、きちんと理解はできない。「これから」の話しか身にしみて共有はできない。

 

 

というのは、少し間違っていたかもしれない、ということに今更気がついた。

 

 

「わたしも、本当はこの高校、来たくなかったんだー」

枝理ちゃんと目が合った。その視線をかわすように、わたしは桜の絨毯をじり、と踏みつける。

「滑り止めでしかなかった。ここに来るなんて思ってなかった。みんなと同じところに行くんだって、疑ってなかったから」

 

 

自分がとても惨めな気がして。

一度ひねくれた思考回路は、もうもとには戻らなくて。

屈折して屈折して、その思考の出口が見えなくて。

 

 

「本当に、来るのがイヤだったんだー……今でも」

 

 

イヤでも時間が合えば、元同級生と顔を合わせることになる。

会うたびに、どんどん「新しい高校」の色合いに染まって、わたしの知らない「これから」が増える。

 

 

高校の友達とだって、当たり障りがない程度の、さらりとした話しかできない。

おしゃべりの途中で笑いが途切れる、あの瞬間を思い描くだけで、背筋が寒くなる。

 

 

でも旧友にも、今の同級生にも、わたしのねじれた考えを晒す度胸はまったくなくて、

引かれたらどうしよう、類が違ったらどうしようと、そんなことを気にする自分がいて、

一方で、そんなちっぽけなことを気にするなんてバカみたいだと、批判するわたしもいて。

 

 

学校がひどくつまらなくて、気は滅入る一方で、友達を信じられなくなった途端に自分を疑うようになって、

おしゃべりさえ満足にできなくなったわたしは、どこかがおかしいのだろうか。

 

 

おかしいのだろうな。

 

 

ザア、と大きい風が吹いて、地面の花びらをすくいあげて、遠のいた。

 

 

こんな天気のいい日に、何をやっているのだろう。

途中下車をして、わくわくしたのはいいけれど、こんな気の滅入る途中下車はなんとも、

胃の底にキノコでも生えたような微妙さだ。

 

ちりちりと痛いような、しくしくと悲しいような、むずむずとかゆいような、湿った感じだ。かさぶた、というかなんというか。

 

 

「あはは、何してるんだろー、あたしたち」

奇遇にも同じように感じていたらしい枝理ちゃんが、空に向かって明るく笑った。

 

 

最初にひまわりみたいだと思ったその笑顔は、新緑を芽ぐもうとする桜の枝に、必死にしがみついている花びらのようで、彼女の目つきの理由がなんとなくわかったような、気がした。

 

 

 

「そろそろ、駅に戻る?

腕時計を見ると、まだ10分も経ってなかった。

結局途中下車のお花見は、数分で終了した。

 

 

電車をベンチに座って待ちながら、ゆっくりと流れる雲を二人でぼう、と見上げる。

女子高生二人が、縁側のおばあちゃんよろしく呆けた顔で、雲を眺めている図だが、田舎の無人駅だから、見られることはない。

ホームの向こうの低い山から、うぐいすの鳴き声が聞こえた。

 

会話をしなくてもいいや、というこの距離感が、過ごしやすい。

いつでも話せて、いつでも終わらせることのできる距離が、今のわたしには心地よい。

 

 

 

「杏子ちゃんは、」

 

ふと枝理ちゃんが口を開いた。お互いまだ雲を眺めたままなのが、なんとも不思議な光景だけど。

「肝心なことを聞かないでくれるから、話しやすいのかなー」

 

 

また自己完結しかかっている言い方だ。

 

 

「肝心なこと」といえば、魂が宿るとか宿らないとかのあたりだろうか。

「聞きにくいし……聞いてよかったの?

「んー、どっちでもよかったんだけどねー」

 

どっちだよ。

と本気で突っ込みかけて、彼女の類友は、よくこれで会話が成立しているものだとも思った。

 

 

「こっちに来るのがイヤだったこと、こっちに来てから初めて人に話したっていうか」

 

 

ああ、そういうことか、それなら、

「わたしもだよ」

 

あの高校に来たくなかったことを、高校生になってから初めて人に話した。

 

 

 

「杏子ちゃんてさ、すごい素直だよね」

「……え!?

 

 

思ってもみなかった言葉をかけられて、思考が一瞬停止した。

わたしが素直、だと。

 

わたしはひねくれている。

自分でもため息が出るくらい曲がっていると、思う。

 

「どのへんが……?」

 

「桜を見に行こうだとか、田んぼに水が張って眩しいだとかさ、素直でいいなって思った。

あの別の高校の友達? と話すときも、イヤなんだろうなーって一目でわかるというか」

 

おっ……心臓を短刀で貫かれたような痛みを感じた。

随分と率直に心の膿を突いてきた。

 

「そ、そんなにイヤそうだった……?

「うんうん! 早く降りていってくれないかなーって顔してたし。……まー、周りの子たちも、似たような顔してたか」

 

そうだっけ。

そういえばわたしは自分自身で精一杯で、彼女たちの表情なんて見ていなかったかもしれない。

予測をしていただけで。

 

 

あの場の皆が皆、そんな顔色をしていたというのなら、傍から見て、たいそう馬鹿げた光景だったことだろう。

馬鹿げた友達ごっこ、馬鹿げた空っぽの会話、馬鹿げた譲り合い。

でもそれらを崩す言葉を、投下する気には、やはりなれないのだ。

 

 

勇気も無いし、根性も無いし、何よりわたしが、多分耐えられないだろうなとも、思う。

現状がイヤなくせをして。現状を変えるのも怖い。

 

 

やっぱり、わたしってひねくれているではないか。

 

 

 

 

「いや、わたしは……枝理ちゃんのほうが素直だなって思ってたくらいで」

「は!? あたしのどこが素直!?

 

 

 

 

「人工の桜なんて咲かなければよかったのに、てあたりとか」

「あたし、自分ではその考えって相当捻じ曲がってると思うんだけど」

 

「そうかな……だって、それが率直に感じたことなんでしょ? イヤなものをイヤだって感じるって、ずごく素直だなって思って」

「うーん……」

 

 

あまり納得のいかないような顔をして、枝理ちゃんはそれきり口を閉ざしてしまった。

ふと下りた沈黙の空気に、あ、やっぱりそういうことではないのかもしれないという直感が走った。

 

 

素直だねって、言われたくない。

わたしたちは二人とも、自分はひねくれているって信じたいんだ。

そんなに簡単じゃないんだって叫びたくて仕方が無いんだ。

 

 

 

「なんていうかあ……曲がってるひと同士がお互いを見るから、まっすぐ見えちゃう感じっていうかー……」

表現を選びながら、自信の少なそうな声で言いかけ、枝理ちゃんはやがて下を向いた。

 

曲がってるものがまっすぐに見える――

 

「それって、偏光みたい」

「偏光?」

 

そう、偏光だ。

偏光シートを手に興奮する私たちを、得意げな顔で見渡すタナヤンを思い出す。

やばい、なんだか一瞬イラっとした。こんなところで役立つタナヤンに。

 

 

偏光シートは特定の方向の光だけまっすぐ通し、方向の違う光は通さない。ねじれているものを遮断してしまうのだ。

でも、2枚のシートの間を、光をねじ曲げるようなもので隔てれば、光は通って、波長の違いでとりどりの色が見られる。

 

 

そのことをジェスチャーとタナヤンの口調モノマネを交えて、枝理ちゃんに説明したら、

一瞬キョトンとして、でも馬鹿にせずに「そういうことかー」と呟いただけだった。

 

タナヤンについて聞かれることもなく、再びつかず離れずの沈黙が下りる。

 

 

あと2、3分もすれば学校へ行く車両が来る。

流れる雲を見るのも飽きたが、他に眺めるものもない。

 

まっすぐ注がれる柔らかな陽光に、軽く目を細める。

わたしたちは、光をねじ曲げる「もの」か、それとも一定の光しか通さない偏光シートか。

どちらでもいいけれど、わたしたちはやっぱり、ひねくれている。

 

 

電車が来て、それに乗ったら、もう、この空気はお終いだろうと、お互いに思っているのがわかるのだから。

 

 

どこかでは「素直であること」を妬んでいて、羨んでいて、

だから素直でないことがつらく苦く感じて、

暗い場所に立ってるみたいで、日差しの下が異様にまぶしくて、

自分の立ち位置が気に入らなくて、

でもここが、一番安心できるから、動きたくはない。

 

 

わたしはやっぱり枝理ちゃんが苦手で、枝理ちゃんも多分わたしが苦手で、

類友の輪には入ることは絶対ないだろう。

 

 

わたしも彼女も「ひねくれ者」だから、お互いが「素直に」真っ直ぐ見えてしまうのだから。

 

 

 

苦手なものランキングに修正を施さなければならない。

 

一位

素直だねって思われること。

 

 

 


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